2014年2月15日土曜日

非力でもとんがれば、突破力




前回から続く

よく願望を叶えるために、「自分はできる」「自分にはやれる」と言葉にして潜在意識に送り込む勧めを聞きます。

あるいは「すでに実現した自分」をイメージにして、毎日見るというのもそうです。「すでに実現したように振る舞え」という意味のことを聞きませんか?

これらは大いにいい影響を与えてくれる手法ですが、いずれも「行動」もせず「結果」も出さずにいくら言葉にしても、ビジュアルにしても、その気になっても効果はありません。

しかし、これらには素晴らしい点があります。
願望の継続が続いている点です。あきらめない限り可能性はあります。ある日、チャンスを得て何かの拍子に可能性の扉が開くこともあります。

ただ残念なのは、それがいつか分からないことです。

チャンスを得る機会はどん欲さと比例しています。成功体験が小さいとなかなかどん欲になれない時期があります。そんな時にこそとんがることが重要です。



「とんがるモチベーション」とは<ひとつに集中>して得られるモチベーションの意味です。自分の力は小さくても、小さければ小さい程キリのように、さらに弱小なら針のように<とんがる>と突破力がつきます。

自分の場合だと、同じ業界の競争相手にどうしても勝てない時期がありました。悔しい想いをしていたものですが、そんな時、競争相手の重役から「おい、頑張ってるな」と声をかけていただきました。「いつまでも負けているわけにはいきませんから」と返すと、「創るのに十年かかれば崩れるのにも十年かかる。頑張り続けたら必ず成果は出る」と仰ってくださいました。

それは私を認めていただいていたからのお言葉でしたが、「ありがとうございます。それでは五年で抜いてみせますので、よろしくお願いします。」と返しました。まるで喧嘩を売っているような<とんがった>返事です。

その二、三年後に、その部下の幹部の方が数名集まって、来社され「完全に負けました」とお話になりました。私は「ついにやった!」と内心喜びましたが、抜けたのは、あの時重役が自分に心込めて話してくださったからでした。社内であろうが、ライバルだろうが、頑張ってこられた方は、頑張る人が好きで、頑張らない人が嫌いなのです。


なぜなら「自分は特別ではない。ただ頑張っただけなのだ。だから誰でも頑張ればできる。それをしないのは卑怯者だ。」と考えているからです。

誰でも最初は「自分なんか」と思う時があるものです。

そんな自分を信じてみようかと小さな一歩を踏み出せば、一歩前に進みます。取るに足らない一歩ですが、十歩踏めば十歩進みます。百歩進めば百歩。そうしている内に、戻るのも大変だし、ここまで来たら、行くしかないと思うようになります。

<ここまで>進むと、楽しくするためには<とんがる>しかない局面に進みます。つまり<目標設定>する時が来ます。

スポーツと同じです。<やらん気>→<やれん気>→<やれる気>→<やる気>とスップアップしていくには、<やれん>を<やれる>に変えることが必要なのです。それには行動で<へぼ>でもなんでも<とりあえず>の結果を出すことが不可欠なのです。なぜならどんな結果であっても結果を出さない限り、<PDCA>を回すにも回せないからです。

<PDCA>を回せる状態にしてこそ、始まるのです。それまではまだスタートを切っていないのです。

なにをしていいのか、分からないという人は、<目標設定>ができない人のことです。

自分の
・環境
・行動
・スキル(能力)
・価値観(信念)
・アイデンティティ(自己認識)
・スピリチュアル(共同体)


<目標設定>ができないのは、気持ちが環境の中に閉じこもっている、閉じ込めたままだからです。「なにをしていいのか、分からない」という言葉の意味は、「環境から飛び出したい」という意味なので、具体的な行動を起こせばいいのです。

それにはまず言葉と行動をリンクする作業が必要なのです

「環境から飛び出したい」では行動とリンクしていない状態なので、これを「このようにして+環境から飛び出したい」というように変えることが必要です。

つまり<このようにして>が必要です。

その方法は<このようにして>について結論を出すより先に<やってしまう>ことです。


次回に続く


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