2014年2月17日月曜日

苦痛に鈍感な現代人と<自立した無邪気なこども>




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前回から続く

ジムでトレーニングしている人を見ていると95%が間違ったトレーニングをしています。
マネジメントの理解の無茶ブリで職場は混乱をしています。愛に対する認識を間違っているため、幸せな結婚生活から遠のいています。

間違った行き方は実際には<苦痛>でしかありません。苦痛を感じない行き方を続けていることが<なにより悲劇>なのに「こんなものだろう」と誤った自覚が日常化しています。

なぜ、「苦痛を感じない」「こんなものだろう」で済ませるのでしょうか?
消費と娯楽とさらなる苦痛が救済する反面、ますます鈍感にしているからです。

しかし、実際のところ。。。。
幸福はどこか遠いところにあるわけではなく、自身の手の中にあります。

幸福な生き方、生き方のために無邪気なこどもを取り返す。。。。そのためにはいつかではなく、いまやってしまうのです。

ところが、古くからの習慣が新しいことの邪魔をします。習慣は時間と行動が一体となっているので、どんなにカンタンな習慣でも、時間が記憶をしていないので、なかなか入り込めません。

時間には反復性があります。失恋の痛みからなかなか抜け出せないのも、時間が行動を記憶しているからです。メール、電話、デート、食事、空想。。。。すべて時間が行動を記憶しているから、ごっそり行動がなくなると時間を持て余し、その空白を埋められないので痛みになるのです。

だから行動と言葉、行動と時間をリンクさせることが重要なのです。リンクすることで言葉は「現実」になり、時間も「現実」になります。現実が伴うから説得力を持ちます。

自分を説得する力です。現実が伴わない限り、言葉も時間も説得力を持つことがないので<決断を恐れる自分>は「だったらいいのにな」で止まってしまいます。

その<力不足>に生まれる<すき間>を埋めるのが、他者の言葉、時間(体験)です。イワシの頭も信心からという言葉があるように<決断を恐れる自分>は重宝してしまいます。

他者の言葉、時間(体験)は親や学校教育から受けた抑圧のイメージと重なるので抵抗感も少ないのです。こどもの時と違って根拠はなにもないのですが<安心感>を記憶しています。

そうすると、<無邪気なこども>より、<従順なこども>が活気づきますが、時間が記憶している<従順なこども>は「こんなものだろう」と思えてしまうのです。

消費と娯楽とさらなる苦痛が自分を救済しますが、幸福感から遠のくの感じないまま、ストレスに慣れて行きます。それが行き過ぎると<依存症>なります。人によって違うものの、消費と娯楽とさらなる苦痛は、自分をごまかす上で重宝してしまうのです。


この問題を解決するのが、<自立した無邪気なこども>なのです。

でも鳥が嫌いな人は嫌いなのです。
犬に噛まれた経験から恐怖心が拭えない人にいくら大丈夫だと教えても怖いのです。
単純だけど、この問題がある限り、解決は困難なのです。

では、どうしたら?


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